ビジネスを成功したエイブラハム・リンカーンの名言を伝えていきたいと思います。
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エイブラハム・リンカーンの名言25選
- 人は誰でも、褒められることが好きなものだ。
- 人はそうなりたいと望む分だけ、幸せである。
- 昨日の自分より賢くなっていない人間を私は尊敬しない。
- 人間40以上にもなれば、自分の顔に責任がある。
- 喋り続けて疑いを晴らすより、黙り続けて蔑みを受けよ。
- 他人の自由を否定する者は、自らも自由になる資格はない。
- 自分でできることやすべきことをその人の代わりにしてあげても本当の助けにはならない。
- もし8時間、木を切る時間を与えられたら、そのうちの6時間を私は斧を研ぐのに使うだろう。
- 私の祖父がどんな人だったか知らないが、彼の孫がどんな人になるかにはとても感心がある。
- 落胆の感情にとらわれないようにしなさい。そうすれば、最後にはきっと成功するだろう。
- 誰かが成功をおさめることが出来たということは、他の人にも同じ事ができるという証明である。
- 大統領にしても、靴磨きにしても、世のため、人のために働く公僕だ。世の中に卑しい業というものはない。
ただし、心の卑しい人はいるものだが。 - もし相手に自分の意見に賛成して欲しければ、まず相手に自分はあなたの味方だと分かってもらうことだ。
これこそ、人の心をとらえ、相手の理性に訴える最善の方法である。相手が自分のことを味方だと思っていれば、遅かれ早かれ、自分の意見に賛成してくれる。 - 私は一つの痛切な願いを持っている。
それは、私がこの世に住んだがゆえに、少しだけ世の中が良くなったということが認められるまでは、生きていたいということだ。 - 一部の人たちを常にそしてすべての人たちを一時だますことはできるが、すべての人たちを常にだますことはできない。
- 人間は、たとえ相手が自分の一番関心のある目標に導いてくれる指導者であっても自分の気持ちを理解してくれない者にはついて行かない。
- 自己の向上を心がけている者は喧嘩などする暇がないはずだ。
おまけに、喧嘩の結果、不機嫌になったり自制心を失ったりすることを思えば、いよいよ喧嘩はできなくなる。 - この悲しい世界では、不幸は皆に訪れる。
その場合、ひどい苦しみを伴うことがある。
完全に癒すことができるのは、時をおいて他にはない。 - 君の決心が本当に固いものなら、もうすでに希望の半分は実現している。
夢を実現させるのだという強い決意こそが、何にもまして重要であることを決して忘れてはならない。 - こちらに五分の理しかない場合にはどんなに重大なことでも、相手に譲るべきだ。
こちらに十分の理があると思われる場合でも小さいことなら、譲った方がいい。 - 私はひとつの痛切な願いを持っている。
それは、私がこの世に住んだがゆえに少しだけ世の中が良くなったということが認められるまで、生きたいということだ。 - 我々はここで確信する。戦死した人々は無駄ではないことを。
この国民は神の加護を受けて新生の自由を享受するだろうことを。
そして人民の人民による人民のための政治が地上から抹殺されることはないだろうことを。 - 相手を動かそうとする時には、心のこもった、押しつけがましくない説得の手を用いるよう心がけることだ。
「一ガロンの苦汁よりも一滴の蜂蜜を用いたほうが多くの蝿がとれる」ということわざは、いつの世にも正しい。
人間についても同じことがいえる。 - もし相手を自分の意見に賛成させたければ、まず諸君が彼の味方だとわからせることだ。
これこそ、人の心をとらえる一滴の蜂蜜であり、相手の理性に訴える最善の方法である。
一旦これが獲得できると、こちらの意見を認めさせるのに、大して手間はかからない。 - もし最後の結果が良ければ、私に浴びせられた非難などは全く問題ではない。
ただし、最後の結果が悪ければ、たとえ十人の天使が私を弁護してくれたところで、何の役にも立ちはしない。
黒人奴隷制度を廃止するために革命した人種差別主義者
上に書かれているサブタイトルを見て「ん?」と思いますよね。
簡単に言うとリンカーンは、奴隷を開放したのは事実ですが、黒人に対して差別をしてます。
要するに「必要悪」ですね。
なぜ、黒人を差別しているのに黒人奴隷制度を廃止したのかというと南北戦争に勝つために奴隷を開放したからです。
南北戦争とは・・・1861~1865年の4年間、アメリカ合衆国の北部と南部が奴隷制について揉めごとをした事件です。
当時、南部と北部との経済・社会・政治的な相違が拡大していた。
南部では農業中心のプランテーション経済が盛んで特に綿花をヨーロッパに輸出していた。
プランテーション経済は黒人奴隷の労働により支えられていた。
そして、農園所有者が実質的に南部を支配していた。
南部の綿花栽培の急速な発展は英国綿工業の発展に伴って増大した綿花需要に負うもので、英国を中心とした自由貿易圏に属することが南部の利益だったため、南部は自由貿易を望んでいた。
それに比べ、北部では米英戦争(1812年 – 1814年)による英国工業製品の途絶でかえって急速な工業化が進展しており、新たな流動的労働力を必要とし、奴隷制とは相容れなかった。
また、欧州製の工業製品よりも競争力を優位に保つために保護貿易が求められていた。
その結果、奴隷制に対する態度と貿易に対する態度の両方で意見を異にしていた北部の自由州(奴隷制を認めないという「自由」、奴隷州に対する概念的呼び方)と南部の奴隷州の対立が一層激化した。
しかもこの対立は、アメリカ合衆国が思わぬ方法でその領土を拡張してしまった事からより深刻になってしまう。
黒人奴隷が作った綿花をイギリスの工業製品と交換していた南部に対して保護貿易で優位に立ちたかったけど、足を引っ張るような態度が頭にきた!って感じで揉めていました。
リンカーンがアメリカ人同士の戦争を起こさないように南部と話し合った結果、失敗に終わり、南部にサムター要塞を攻撃しました。
そのきっかけで南北戦争が勃発してしまいました。
最初は戦争に勝つためにすぐに奴隷解放宣言しようとしましたが、できませんでした。
できなかった理由は連邦の北部と南部を統一という目標が達成できなくなるリスクがあったからです。
戦争が始まってから今まで連邦の一部だった4州が連邦から離脱してしまったせいで残った奴隷州のデラウェア州、ケンタッキー州、メリーランド州、ミズーリ州が離脱してしまうかもしれないと判断に迷っていたからです。
戦争が長期になればなるほど苦戦になっていき、もうすぐ3年目に入るころに奴隷解放宣言をしました。
1861年4月12日に戦争が始まって、解放宣言をしたのは1863年1月1日です。
その結果、南部の黒人が北部の味方になり、最終的に戦争に勝ちました。
当時は南部の奴隷のみ解放しただけで、北部の奴隷は解放していなかったので解放宣言としては不完成でした。
嫌味な言い方ですが、リンカーンはアメリカ合衆国の統一という目的のために黒人の奴隷労働に依存してる南部経済の根幹を絶つという手段を考えました。
勝つために奴隷解放は、黒人はただのおまけ扱いで戦力として迎えて南北戦争の勝者になりました。
そういった意味ではビジネスマンとして成功したといえます。
解放宣言のきっかけで奴隷ではなく、1人の人間として認める形になっていますが、白人社会に受け入れるかどうかは別の話でした。
奴隷解放宣言から150年以上経っていますが、黒人に対する差別はまだ残っているところがあります。
まとめ動画
以上になりますが、南北戦争のおかけで奴隷を解放したのは、なんとも皮肉な話だなと思いました。
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