ウォルト・ディズニーの名言を伝えていきたいと思います。
マインドセットに役に立つウォルト・ディズニーの名言25選
- 何かを始めようと思ったら、話すことをやめて行動することだ。
- 誰にでも締切が必要。締切がないと気持ちが緩んでしまうから。
- 新しい世界を開拓し続けなければ、私は死んでしまう。
- 与えることは最高の喜びだ。他人に喜びを運ぶ人は自分自身の喜びと満足を得る。
- 必死に闘っている時よりも上手くいっている時の方が心配だ。
何もかもが順調なときは突然何かが台無しになるのではと気になって仕方がなかった。 - 好きなことだけにのめり込んではいけない。
他の分野へチャレンジできなくなってしまうからだ。
自分の好きなもの以外、見えないようにするのは馬鹿げたことだ。 - そうかもしれない。でも、みんながどうして平凡が好きなのか、きっと、何か理由があるんだよ。
- 若者の多くは、自分たちに未来はない、やることなど残っていないと思っている。
しかし、探検すべき道はまだたくさん残っている。 - いままでずっと強力な競争相手と戦ってきたので競争相手がいないとどうしたいいかわからなくなる。
- 自分たちのために商品をつくってはいけません。
人々が求めているものを知って人々のために商品をつくりなさい。 - 私たちは前進を続け、新しい扉を開き、新たなことをなし遂げていく。
なぜなら、好奇心旺盛だからだ。
好奇心があればいつだって新たな道に導かれる。 - 単なる金儲けは昔から嫌いだ。
何かをしたい、何かを作りたい、何かを始めたい、昔から金はそのために必要なものでしかなかった。 - ずっと固く信じてきたことがある。
それは、一般大衆を信頼していくってこと。
大衆はずっと僕の味方だった。
ミッキーマウスを真っ先に認めてくれたのは
評論家でも興行主でもなく、大衆だった。 - 人間は誰でも、世の中で最も素晴らしい場所を夢に見、創造することはできる。
設計し、建設することもできるだろう。
しかし、その夢を現実のものにするのは人である。 - もし清掃作業員が良いアイデアを持っていれば、私は彼のアイデアを採用する。
私は権威をひけらかしはしない、普通の人たちの意見を大切にする。 - 私がやってきたことの中で、最も重要なことは私と一緒に働く人たちをコーディネイトし、彼らの努力をゴールへと向かわせることだ。
一人の人間が大きな業績をあげるためには多くの人の手と、気持ちと、知恵が必要なのです。 - 私は偉大なアーティストでも、偉大なアニメータでもない。
私の周りには、いつも私より優れた技術を持った人たちが私の代わりに働いている。
私の仕事は新しいことを考え出すアイデアマンだ。 - 子供のため、もしくは批評家のために作られた作品はヒットしない。
私は子供のためにも、批評家のためにも映画を作ったことがない。
ディズニーランドは子供たちだけのものじゃない。
私は相手に合わせてレベルを落としたりはしない。 - クリスマスシーズンにいくら人がたくさん来たとしても満足してはいけない。
お客様には常に少しでも多く付加価値を与えるんだ、やるだけの価値はある。
もし人が来なくなってしまって再び来てもらおうとしたら十倍の費用がかかるのだから。 - 私は常に改革者であることを信条としている。
あなたが自分の言ったことを繰り返すのは嫌なように私は自分の映画を作るのは好きではない。
私は新しいことをやって何か新しいコンセプトを開発するのが好きだ。 - 私は、6歳の子供でも60歳の大人でも心の中に持っている子供心に響く映画を作っている。
どんなに悪い大人でも、無邪気さを捨ててしまってはいない。
たとえ、心の奥深くに押し込んでしまっているとしてもだ。 - リーダーシップに一番必要な資質は勇気だと思う。
通常、勇気にはある種のリスクが付きまとう。
とくに新しい事業を立ち上げるときにはなおさらだ。
何かをスタートさせ、それを継続させる勇気。
この開拓者スピリットと冒険心がチャンスがいっぱいのアメリカで新しい道への案内役となる。 - 私は、夢を実現させる秘訣を知っている人が越せない壁があるとは信じられない。
私が思う夢の実現の秘訣は4つのCによって言い表すことができる。
Curiosity(好奇心)、Confidence(自信)、Courage(勇気)、Constancy(一度決心したことを続ける一貫性)。
中でも一番大切なのが自信だ、一度こうだと決めたら、盲目的に、一片の疑いもなく、
それに没頭することだ。 - 新しいことについて考えるときはそれについて本当に研究しなさい。
見かけのアイデアだけでなく、それに関するすべてのことを調べなさい。
そして、ひとたびやると決めたらとことん信じ込む。
上手くやる能力があると信じ込む。
そして、これ以上できないという最高の仕事をするために働き続けるんだ。 - ディズニーランドを子供だけのために作ってはいけない。
人はいつから子供ではなくなるんだ?
大人の中に、子供の心が消えてしまっているといいきれるかい?いい娯楽であれば、若者にも老人にも誰にでもアピールすることができる。
親が子供を連れてこられる、そして大人だけできても楽しく過ごせるところ、僕はここをそんな場所にしたいんだ。
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2人の娘がきっかけになったディズニーランド誕生秘話
1901年、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴで鉄道員の息子として生まれました。
子供のときから動物、森、畑、川など自然に関連するスケッチを描くのが好きな人でした。
高校生時代は学校に通いながらアカデミー・オブ・ファインアーツ夜間部で絵を描きながら学びました。
1918年、第一次世界大戦終結後、アメリカに戻ったウォルトは漫画家として少ない依頼で新聞に漫画を描く仕事をしていました。
1920年、兄の紹介で広告デザインの仕事を受け取ったきっかけで知り合ったアブ・アイワークスと共に「ウォルト・アイワークス・カンパニー」というデザイン会社を創立しました。
最初は生活のために雇われ身としてデザインの仕事をしていました。
雇われた仕事の中で短編アニメを描いたきっかけで漫画からアニメへと興味が変わり、アニメを描く仕事に夢中になりました。
1921年、「ニューマン劇場のお笑い漫画」というアニメを制作しました。
動画もありますのでご覧下さい。
“Newman Laugh-O-Grams” (1921)- Walt Disney’s Laugh-O-Grams
他に作品の動画をまとめたチャンネルがありますので紹介します。
「ニューマン劇場のお笑い漫画」を放送した結果、アニメ作品として高い評価を得てアニメ制作の仕事が増えました。
しかし、制作に集中する資産の整理ができていなかったため、倒産しました。
倒産後、ハリウッドで兄と共にディズニー社を起業して数人のアニメーターを集めてディズニーアニメ制作をしました。
1925年、社員だったリリアンと結婚して娘のダイアンが生まれ、養子のシャロンを迎えて、4人家族になりました。
子供の頃、父に愛されなかった反動で仕事が忙しくても動物園や遊園地に連れて行ったりするほど、2人の娘を大事に育てました。
ある日、メリーゴーラウンドという遊具に乗って遊んでいる娘たちを見ながら1人で座っていたとき、ある疑問が出てきました。
あれ?子供は楽しんでいるのに、大人は楽しめていないのはなぜだろう?親子で一緒に楽しめる居場所はないのだろうか?と考えました。
そのきっかけでディズニーランドというテーマパーク建設計画を進ませるためにアニメーターから実業家に変わりました。1955年7月、ディズニーランドを正式にオープンするまで資金、騒音、土地など数えきれないほど問題をぶつけながら15年以上の年月をかけて完成しました。
まとめ動画
以上になりますが、アニメを作るだけなら十分に成功できるのに親子で楽しめるテーマパーク建設に加えたらリスクがアニメよりハードルがかなり高いのに15年以上かかっても公式にオープンしようとする精神力がすごいなと思いました。
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