創造力を鍛えながら遊べる魔法のおもちゃ「レゴ」のマーケティング

あなたはレゴを知っていますか?知らない人はいないほど有名なものです。

カラフルの四角ブロックで車、家、船など好きな形で組み立てて作れるおもちゃです。

プラスチックで、出来た正四角形と長方形、そして、赤、黄、青、黒、白など数多の色の種類があります。

ブロック1個だけでは小さな部品しかないですが、何百、何千、何万個になると大きなものができます。

夢の中で見てきたものを物体に触れてみたいと思ったら想像力があれば作れるので子供だけではなく、大人でもハマれる不思議なものです。

そんな不思議なおもちゃは1934年からありました。

レゴのマーケティングで学ぶ!レゴ・ブロックの誕生の秘密

1891年、レゴ社の創設者であるオーレ・キアク・クリスチャンセンは、デンマークのフィルスコー村で生まれました。

フィルスコー村は、村の周りは広い荒野ですが、羊を飼って乳製品を作る農業をしていました。

秋になるころになると濃霧が拡がるらしいです。

しかし、村全体が貧しかったため娯楽といえるものがほとんどなかったそうです。

6歳の時、牧草地で羊の群を見張る仕事を親に与えられました。

父から誕生日の祝いでナイフをもらって孤独という仕事で気を紛らせながら木材を削ったそうです。

削っているうちに木に対して興味を持ったのと才能があるのを親に認めて大工の仕事をしている兄のところに行って、大工の技術を学びました。

25歳のとき、故郷に帰って道具と仕事場を買って仕事し始めました。

第一次世界大戦の影響で材料が高くなっているので生活はすごくギリギリでしたが、なんとか耐えていました。

1924年、ある日曜日の午後、オーレの息子2人がオーレの仕事場で遊んでいたら接着剤の液体に誤って火を落として火事になってしまいました。

その結果、家と仕事場と2つとも燃えて失いました。

しかし、オーレはチャンスだ!と思って家族にせまいスペースで我慢してもらい、仕事場より大きめの家を依頼したそうです。

1930年頃、世界恐慌で更に厳しい状況になってしまい、建築の仕事がなくなってしまいました。

なんとか生活ができるように建築の仕事の代わりにアイロン台とはしごを作って売りました。

それでも厳しいので更にお客さんに売れやすくするために製品の見本として実物より小さめのモデルで作りました。

そのきっかけでおもちゃとして作れるのではないのか?と考えて木製のおもちゃを作り始めたそうです。

車、飛行機、動物など様々な形で木製おもちゃを作っていました。

作ったおもちゃを見たある問屋さんが不況の中で農家の人達の子供に買い与えられるだろうと思って協力してくれましたが、

納品する前に問屋さんが破産してしまったため、売ることができませんでした。

やむを得ないと思ったオーレは村の住人たちに物々交換してもらうことにしました。

1932年、物々交換では限界があったため破産寸前でした。

そこでオーレの9人兄弟にお金を借りてくれるように頼みました。

全員、借りてくれましたが、おもちゃより役に立つものを作ったらどうだ?と強く意見を出す人もいました。

それでもオーレはおもちゃを作り続けました。

1930年前半のころ、ヨーヨーを作って売ってみると売れて流行しましたがあっという間に過ぎ去ってしまいました・・・。

それでも諦めないオーレはヨーヨーの部品をトラックに流用しました。

その頃、息子のゴッドフレッドが父と一緒に働き始めました。

1934年、これから先、作る製品にブランド名を付けたいと思い始めて社員全員と相談した結果、LEGO(レゴ)に決めました。

意味は、デンマーク語で「よく遊べ」を意味する”Leg Godt”、もう一つはラテン語で「組み立てる」を意味する”LEGO”です。

第二次世界大戦後、プラスチックが一般人でも買えるようになったのを知ったオーレは、プラスチックという新しい素材に将来性を感じて興味を持ちました。

1947年、プラスチック用の機械を買ってプラスチックのおもちゃを作り始めました。

最初はゴッドフレッドがデザインした魚のようなおもちゃで赤ちゃん用として開発しました。

プラスチック用の機械を買う前はゴッドフレッドがプラスチックという新素材の玩具に反対しました。

値段が高すぎるし、製造できる玩具も限定されると考えていたからです。

しかし、その考えは数年後に間違っていると証明されました。

1949年、「オートマ・ビンディング・ブロック」という製品を発表しました。

「オートマ・ビンディング・ブロック」とは、お互いにしっかりとくっつくブロックという意味だそうです。

オーレはプラスチックを使い始めたときは、伝統である積木という方法をプラスチックで試しましたが、満足できませんでした。

そこで息子のゴッドフレッドが「もし、積木同士がしっかりとくっつき合うことができたら作れるものが多くなり遊びの幅が広がるでは?」と提案を出しました。

すると、オーレは閃いて、ブロックの上部の凸がついてきて他のブロックの下にはめてブロック同士にキレイに重ねるようにしました。

その瞬間、レゴ・ブロックの誕生となりました。

しかし、レゴ・ブロックはすぐに世の中に受け入れられなかったそうです。

出荷した店に返品されるほど不人気だったらしいです。

それでもブロックの将来を信じて生産を続けました。

1954年、北海へ行くフェリーボートの上でゴッドフレッドがイギリスのコペンハーゲンのデパートでおもちゃの主任に出会いました。

話をしているうちにおもちゃの主任が「ちゃんとした考えを持ったおもちゃ、システムを持ったおもちゃはどうして来ないんだろうか」と悩んでいました。

それを聞いたゴッドフレッドは何ヶ月も考え続けました。

ある条件に合格できたら満足なおもちゃだと認める10つの条件を書きました。

・遊びに無限の可能性
・男の子にも女の子にも
・どの年齢層も夢中になれる
・一年中遊べる
・刺激を与え、そして調和のある遊び
・飽きない遊び
・想像力と創造力を伸ばす
・使うほどに遊びの価値が倍増する
・常に現代的
・安全性と高品質

この10つの条件が「レゴ・ブロックの10の特徴」として成功への道が開かれました。

レゴ・ブロックの成功の道を踏み出した創造者の息子ゴッドフレッド

10つの条件を考えたゴッドフレッドは、スタッフたちとレゴ・ブロックをどう遊びのシステムを拡大していくかを研究をしました。

子供達が楽しく夢中になって簡単なものから複雑なものまで作れるシステムとは、何なのか?を解明することにしました。

研究をした結果、木、車、標識など新しいものを作りました。こんな感じだと思います。↓


できた新しいレゴで試しに子供達に与えてみると、家、道、車を作って町を作って遊びました。

更に驚いたことは、川、橋、そして船まで作りました。

その様子を見たデザイナーは自信がついて更に改良を加えて、1955年に新しい製品として発売しました。

しかし、まだまだ成功とは言える結果ではありませんでした。

なぜならおもちゃ王国と言われていた昔のドイツがデンマークからおもちゃを輪入するとは考えられないのが現実だったからです。

1958年、ブロックの内側にチューブという円柱を加えてみると使い道が更に広がって、ブロック同士がしっかりと組み合うようになりました。

1958年のブロックは、左から3個目のブロックです。

チューブが付いた新しいタイプのブロックで発売しました。

すると子供達がチューブが付く前より精密に作れるようになったので作品の質も上がるようになりました。

その時、やっと本当の意味で成功しました。

チューブを加える改善で成功したレゴ・ブロックを世界に送り出されるのを見届けた創設者のオーレ・キアク・クリスチャンセンは、66歳、心筋梗塞で亡くなりました。

現在は、創設者の孫、ケル・キアク・クリスチャンセンが最高経営責任者としてレゴ社を支えています。

まとめ動画


以上になりますが、ボク達には想像できないほど大変な目にあっても諦めないという不動の精神は、誰でもできるレベルではないので本当にすごいなぁと思っています。

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